難しいことは分からんけど絵が描きたい

独身社会人の男が画家になるまでの過程や思考を綴ります。

デッサンを学んだ① 2022/7/10

先月末から通い始めた絵画教室にて、デッサンの短期集中講座なるものを受講している。美大卒の講師から講義を受けながら実際のモチーフをデッサンしていく、というシンプルな内容ながら学ぶことは多い。

 

脳は目が見たままではなく、言葉や観念と言った象徴的なものに置き換えて理解しようとする強力な機能があるため形を歪めて記憶してしまいやすい。

だから、形をとる序盤ではモチーフを見る時間と自分の絵を見る時間をおおよそ7:3程度にすることで、脳が歪んだ像を記憶する前に紙面に書き起こすことができるようになるという。

慣れてくれば、自分の絵はほとんど見ずに形をばっちり合わせることが出来るようにもなるとか。

そのためには、モチーフと紙の位置をなるべく近づけておき、僅かな眼球移動のみでモチーフと自分の絵を比較できるようにすることが重要だ。

 

一点を集中して見続けと、全体の形がとれなくなってしまう。

目を細めたり遠くからぼんやりと見直すことで全体感を再度記憶することで、そうしたずれがなくなる。

細密画などは細部に気を使うことになるとは思うが、通常のデッサンであれば形を合わせたり全体の陰影を追っている段階では細部より全体のバランスが崩れないように気を付けることが重要であるとか。

自分が捉えた印象とのズレを少なく抑えること重要なので、形や陰影も一か所を完成させて次に行くのではなく、全体の調子を少しずつモチーフに近づけていくように均等にペンを走らせることが求められる。

 

正確な線を最初から引こうとして消しゴムをすぐに使うのはよろしくない。

それが観察した結果の修正なのか、衝動的な自己否定なのかどんなに上手い人でも分からないことが多いから。

書き始めは間違えてもいいように、軽いタッチで色々な線や形を探っていき、いくつかの線を検討した結果、理想的な線や形を発見できる。

 

曲線はクセが出やすく歪みやすいため、始めのうちは直線に単純化して形をとる。

そのため、モチーフを立方体や直方体、円柱や円錐などの単純な形に捉えなおして紙に描きとる。

そうしてバランスの取れた画面になったら、少しずつ細部を作っていくのだが、その時もなるべく直線をつなぎ合わせて曲線を作る。

 

デッサン力を上げるには、ありのままの現実世界(写実)と説明しやすいように脳の中で合理化された象徴的な世界(観念)の二つのバランスを取ることを意識する必要がある。

写実はそのまま、見たものを見たまま画面に描き起こすこと(西洋古典絵画など)

観念は、構造やつくりなどの知識を理解して頭の中で作りあげたものを描き起こすこと(イラスト、子どもの絵など)

ものの形をよく観察して知識をつけ、その知識をもって現実世界を描きとるというサイクルを繰り返していくことでデッサン力は上がっていく。

 

以上は講義で学んだ内容だ。

 

実際にデッサンをしている中で指導を受けたのは、恐る恐る線を引きすぎていて時間がかかっても理想的な線が見つかっていないこと。

間違えてもいいからガンガン線を引いて修正をしていくことで、びっくりするくらい早く形をとることが出来た。

間違ったらあとで修正できないかもしれないという心理的負担は、軽いタッチで薄めに線を引くことで解消された。

ガンガン線を引く攻めの気持ちで、濃すぎない繊細な線を引くというバランス感覚が肝要だと思った。

 

また、形をとる時にはモチーフそのものだけでなく、モチーフが切り取っている背景であるネガティブスペースを観察することで狂いにくくなる。

特に曲線や斜線といった狂いやすい線を引く時は、ネガティブスペースを直線で画面に描きとり補助線とすることで楽に引ける。

 

講習で描いたもの



物覚えが悪い自分はこれだけの指導を受けても2時間という講習の時間内では完成には至らなかった。

しかし、学ぶ前に描いたものと比較すると、未完成ではあるけれど量感や立体感が伸びているような気がしないでもない。

自宅で計10時間程度かけて描いたもの



なにより、間違いたくないとビビりながら描いていたのが、どんなに上手い人でも絶対に修正しながら描き進めるのだと分かり気持ちが楽になった。

思い切った線や陰影が描けるようになったのは大きな進歩だと思う。

そして何より、実績のある人からきちんと講義という形で絵を学ぶのは今までなかったから、楽しい。

おやすみプンプンについて考えた 2022/5/12

コロナ陽性になってしまって暇なので、マンガワンおやすみプンプンを読んでみた。

 

何となく暇だから読み始めたのが、途中から先が気になってしまい一気読みをした。*1

 

結果、コロナ感染による発熱で朦朧とした頭では何だか感想をまとめられなかったから、指を動かすことで思考を巡らせることにする。

 

おやすみプンプン(1) (ヤングサンデーコミックス)

 

概ね内容については理解できた。

 

自分もプンプンのように、周囲が求めるものに敏感で気が弱いから言いたいことややりたいことをグッと飲み込んでしまう節があった。

 

そうして、たまに追い詰められると自分が死ぬか相手を殺すかという思考が頭の中を過ることがあるものだから、実行に移していないだけできっかけや覚悟があればきっと何かしでかす危ない人間だと何となく思っていた。

 

平凡な生活なんて思考停止した人間の退屈で機械的なな営みの言い換えでしかないとか、人間なんて皆自分勝手で馬鹿ばかりだとか本気で思っていた時期もある。

 

だからか、酷く共感できたし、精神的に弱い人たち(以後、メンヘラ)が絶賛する理由もよく分かる。

 

一方で、健康で、理解のある環境で育って、理不尽を被ったことのない人は理解不能だろうし、メンヘラを他人に迷惑をかける面倒な存在としか思っていない人は嫌悪感を示すだろうというのも分かる。

 

ただ、この作品は生きづらい人間の背景と生き様をとても詳しく描いていると思うから、こんな人間もいるのかという参考にはなるとは思う。

 

理解できなかったり気持ち悪いからと言って途中で放るのは少し勿体ないと思うから、暇で死にそうだったり気分が良い時にでも、登場人物のままならなさを鼻で笑いながらでいいから読み切るといいかもしれない。

 

そもそも、理解できなかったり共感できないからと言って読む資格がないなんてこともない。

 

その時は分からなくても印象に残ったセリフやシーンなんかが、その後にどっかでフラッシュバックして体の芯に刻まれるように理解できたりもするわけだし。

 

むしろ自分はそういったことが大半だから、分からないな~と思いながら読み進めることは多い。

 

特に昔の名作とされる小説なんかは自分なりに解釈できるとこだけしっかり読んであとは斜め読みだったりする。

 

でも今のところ、一つも理解できずにいる作品なんてないから自分のやり方は間違っていないと自負している。

 

この作品についても、作者の意図なんて気にせず、軽く自分の分かるところ以外読み飛ばすのもありだろう。

 

各々楽な読み方でいいから、一読を勧める。(今更感がすごいが)

 

あー、ここまで書いて気づいたが、自分はメンヘラであるからこの作品を絶賛し、他人に勧めてしまうだるいオタクだと分かったことが、読んで得られた感想かもしれない。

*1:余談だが、課金はしたくなかったのでアプリの会員登録なんかを駆使してSPライフを稼いだ。

居場所について考えた 2022/4/22

少し前、phaさんの著書「持たない幸福論」を読んだ。

持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない (幻冬舎文庫)

「日本一有名なニート」というナンセンスな肩書と「ギークハウス」については以前から知っていたけど、本はおろかwikiすら見たことが無かったためどういった人物なのか全容を知ることはなかった。

このところ仕事で辛いことが続いて、自分の好きなことで少し稼いで隠遁者のように生活したいなんて思って、ネットサーフィンをしていたらphaさんの記事を見つけた。

彼の考え方に惹かれて最も売れているであろう著書をkindleで購入して読み始めたら、寝不足になった。

今まで何となく違和感を感じていた部分を、嫌みのない平易な文章で的確に抉る文章の凄みに引き込まれてしまって、習慣にしているデッサンやら資格の勉強やらをほっぽりだした。

学生の頃にゲームや漫画にはまって夜更かししてしまうような、中毒的な読書体験を得られたのだ。

 

昔から自分のことをダメ人間だと卑下してきた僕にとって、世間の価値観にとらわれないで自分の好きなことを追求していきてもいいという言葉は、甘くて魅惑的で、何だか今まで悩んでいた自分のことを可哀そうに思えるくらいの思考の転回を起こしてくれた。

ダメ、ダメ、ダメ、ダメ人間

ダメ!人間 人間

 

——筋肉少女帯/踊るダメ人間

 

既にそういった考え方を実践している人物も少なからずいるというのも知っていた。

プロ奢ラレヤーさんとか。

プロ奢ラレヤーのあきらめ戦略ーーお金に困らず、ラクに、豊かに生きるには

phaさんの本に出会う前に彼の著書を読んだ時、楽しそうだと感じるとともに特殊事例すぎて自分には到底真似できないだろうなと、小説を読むような距離感で文章を眺めていた。

彼の体験は他人事として捉えていたのだが、同じように生きてもいいと肯定してくれるphaさんの文章を読んでハッとしたのだ。

 

 

phaさんは著書の中で「居場所」の重要性についても説いていた。

人間の行動原理の7割程度を「居場所を作るため」としたうえで、その方法は多岐にわたるとしている。

僕は、何だか周りの人間への信用が酷く低くて、絶対に壊れない壁を何重にも拵えてしまう性格で損をしてきたと思う。

群れている連中はしょうもない、なんて一匹狼を気取ってとげとげしている人間はもちろん孤立していくわけで。

辛いことがあっても一人で何とかしなければならないけれど、それは土台無理な話で、酒やら娯楽に逃避して自己防衛をしていた。

そうして根本的な課題を見つめずその場しのぎをしてきたものだから、成長は一向にせず何度も同じような辛い目に遭うこととなった。

その結果、とても死にたくなった。

きっと死ぬことこそが人間の幸せなんだろうと思うようになり、仏教なんかも齧ったが、一切皆苦なんて言われてやっぱりそうかと頷くだけだった。

だからか最近は、誰かとつながりを持つことが必要なのかもしれないと思い始めていた。

一人でいると、同じ価値観の中で堂々巡りな生き方をするしかないからだ。

phaさんの居場所の必要性を説く文章を読んで、僕の目はハッキリと覚めたのだった。

 

ただ、今まで人との関わりをできるだけ避けてきた人間はリアル世界に居場所を作ることは難しい。

だから、ネット世界で少しずつ居場所を作ろうと思う。

ここにいていいんだ、楽しく誰かと語り合ってもいいんだ、辛かったら愚痴ってもいいんだ、好きなことを思い切り語ったっていいんだ、生を謳歌していいんだ。

そんな風に感じられる居場所を作ろうと思う。

できるか分からないけれど、失敗したら次の場所へ移ればいいだけ。

どこかに自分の生きやすい場所があるはずだから、見つかるまでダラダラと探していこう。

 

願わくば、その居場所に誰かが入ってこれるようになればいいなと思う。

誰も彼もというわけにはいかないだろうけれど、多種多様な人間の心を軽くするような居場所を、必要とする人に与えられれば少しだけこの世界は良くなるのではないか。

 

僕はオチを壮大な展開にするアニメが好きなので、社会を良くするなんてことを言ってしまったが、まずは自分を助けることからゆるく始めようと思う。

僕も体力はないほうだから時間はかかるだろうけど、達成さえできればそれでいいと今は思う。